宇野 繁博 兄弟
2016年1月 沖縄のインマヌエル東風平キリスト教会にて
意識のなくなった母を診察し終えた主治医が、母の死を私に静かに伝えて くださいました。1996年10月16日、母は天に召されました。享年55歳で した。多くの人の死に接してきましたが、母の死は、当時の私にとって最も悲 しい別れでした。母が亡くなった時、母と過ごした日々が走馬灯のように頭 の中を駆けめぐりました。というのは、母は命をかけて私を愛し守ってくれたか らです。
2015年11月現在51歳の私は、今から26年前の25歳の時、厚生労 働省認定の難病網膜色素変性症により、視覚障害の身となりました。当 時、小学校の教員をしていた私は、仕事ができなくなり、退職を前提とした 休職となりました。3年間の休職の後、28歳で福井県の小学校教員を退 職しました。高校時代にM先生というすばらしい英語の先生と出会い、私も M先生のような教員になりたいと夢を持ち、大学は教育学部で学び、地元 (福井県若狭町)の小学校に就職しました。そして、将来は中学校で英語 を教え、大好きな野球の指導もしたいと色々な夢がありました。しかし、わ ずか6年でその職を余儀なく退職しなければなりませんでした。私はとても 子供達が好きでした。幼い子供達の純粋さがとても好きでした。そのような 子供達と別れなければならなくなりました。また、大学を卒業してから、ある 女性との交際が始まり、お互いに結婚も意識するようになりました。共に小 学校の教員をしていましたから、一緒に教材研究をしたり、スポーツを楽し んだりしながら、私達の関係は親密になっていきました。しかし、この関係も 私が視覚障害の身となり、将来の見通しが全く立たない中で簡単に崩れ ていきました。約3年間の交際期間でした。彼女との関係を絶たれてしまっ た喪失感も言葉では言い表すことのできないつらいものでした。
仕事ができなくなり、車の運転は勿論のこと、新聞さえも読めなくなりまし た。親戚のある一人が繁博のような障害者がいると、息子の縁談にも影響 するかもしれないので、困るんだという内容の話を聞かされた時、私は人生 に絶望しました。生きていく気力が完全になくなりました。年間自殺者が 約3万人と報道されています。自殺をする人の気持ちがよく理解できまし た。自殺をする勇気はありませんでしたが、できることならば、ナメクジのよ うに自分自身に塩をかけて、消えてしまいたいと思いました。
人の前で涙を流すことはありませんでしたが、夜になり、布団にはいると 自然と涙がこぼれました。涙がこれほど目のどこにあるのだろうかと思える ほど毎晩毎晩、涙がとめどもなく流れました。上を向いて寝ていると耳の 中によく涙がたまり、いつもタオルを枕元に置いていました。これは夢であっ てほしい。どうか夢でありますようにと何度も願いました。頬を指でつねって みて、痛みがなければこれは夢なんだと思い自分の頬を何度も指でつ ねってみました。しかし、頬はとても痛く、目が見えないことは夢ではない ことがわかりました。なぜ、わたしの目は見えなくなってしまったのか。どう して、私はこんな運命に悩まされなければいけないのか。本当に神はい らっしゃるのか。当時、イエス・キリスト様を全く知らなかった私は、そのよ うな答えのでない自問自答を繰り返していました。家の仏壇に何度も 手を合わせ、神棚に向かって何度も祈りました。また、祖父が神主をし ていましたので、村の神社にも何度も目が見えるようになりますようにと お祈りに出かけました。
そのような私の姿を見て、母も共に涙を流してくれました。共に涙を流 してくれる人がいることは、私にとって大きな慰めとなりました。自分のた めに涙を流してくれる人がいると思うだけで、孤独感から解放されたよう に感じました。しかし、将来の見通しが全く立たない中で、私の心は不 安で一杯でした。父も母も私のためにできることは何でもしてくれました。 父は、私を敦賀市にあるキリスト教会に連れて行ってくれましたが、神を 信じることはできませんでした。母は、代われるものなら代わってやりたい と何度も言ってくれました。そして、ある時、母が次のように言いました。 「繁博。もし、お前が目が見えないためにどうしても生きていくのがつら い。どうしても生きていけないと思うなら、かあちゃんと一緒に死のうね。」 私はこの言葉を聞いた時、体が震えました。私が視覚に障害を持つ 身となった25歳の時、母はまだ48歳でした。目が見えなくなり、何もで きなくなった私のような者に対して、母は母自身の命を捨ててもかまわ ないとまで言ってくれたのです。母は私の気持ちをよく理解していてくれ ました。いや、私以上に母の方がつらかったかもしれません。でも、私に とって母の言葉は、大きな励ましとなりました。母は、私のこの苦しい気 持ちを分かっていてくれる。命をかけても私に対しての愛情を示してくれ る母の気持ちに何とか答えたいという気持ちが湧いてきました。これから の私の人生は、目が見えないという障害、視覚障害というハンディを背 負っていく人生になるけれども、母の気持ちに答えるために、母のために も、そして、自分自身のためにも精一杯生きていこうと思いました。そし て、私は視覚障害者の職業の一つである、はり灸マッサージの資格を 取得するために、25歳の春に盲学校へ入学しました。その後、盲学 校の教員資格を取得しました。
母は、母の生きている間に私のために1円でも多くのお金を残してや りたいと、無理をして働くようになりました。母はいつも次のように言って いました。 「親として、お前にしてやれることは、お金を残してやることしかできな いんだよ。繁博のことを考えると、夜も眠れない。だから、このように働 いて体をくたくたにしないと眠ることができないんだよ。」
当時はバブル期であり、母は働いて稼いだお金の多くを株式に投 資しました。しかし、やがてバブルも崩壊し、多くの損益が出ました。 そのような中、大きな身体的及び精神的ストレスを抱え、母は癌と なり亡くなりました。私が32歳の時でした。私が視覚障害の身となっ て7年目でした。私の将来をとても心配して母は亡くなっていきました。
私は30歳の時、再就職の道が開け、盲学校の教員となりました。 35歳の時、家族の人間関係の問題がきっかけとなり彦根市内の 教会へ導かれました。牧師先生が私の悩みを聞いてくださり、人間 の罪についてわかりやすく教えてくださいました。 「人間関係で悩んでいる宇野さんは、自分を中心に物事を考えて います。それがキリスト教で言う罪というものです。極端な言い方をす れば犯罪なども自己中心の結果です。これからは、自分を中心に 生きるのではなく、神様を中心として生きることが宇野さんの人生に 大きな祝福をもたらします。聖書を読んでみてください。今の宇野さ んの問題にも必ず解決の道が与えられますよ。」
失明したときは教会へ連れて行ってもらっても神を信じることはでき ませんでしたが、この牧師先生の言葉を聞いたときは、先生の言葉 がストレートに心に入ってきて、イエス様を信じたいという気持ちにな り、聖書を読むようになりました。
あるとき、私の教理福井県の盲学校のクリスチャンのH先生と、 電話で話をしていた時のことです。H先生と私との間に次のような やりとりがありました。 「H先生、私も先生のようにイエス様を信じることができました。 これからイエス様を信じて、イエス様を救い主として、生きていこう と思っています。聖書を読む中で分からないことがあったら、信仰 の先輩として、これからもよろしくお願いいたします。」 「宇野君は、ヨハネの福音書の9章を読んだことがありますか。」 「私はまだ読んだことがありません。どのようなことが書いてあるか を簡単に教えてください。」 「あのね、イエス・キリスト様が道の途中で、生まれつきの盲人を 御覧になったのです。そして、弟子達が尋ねました。どうして、この 人は生まれつき目が見えないのですか。本人が罪を犯したからで すか。それとも、両親が罪を犯したからですか。この弟子の質問に 対して、イエス・キリスト様は、次のようにお答えになりました。この 人が罪を犯したからでもなく、両親でもありません。神のわざがこの 人に現れるためです。 宇野君のこれからの人生にも神のみわざが現されるからね。希 望を持ってイエス様を信じて、楽しみにしているといいよ。」
私はこのヨハネの福音書の聖書の言葉を聞いて、今まで長い間、 疑問に思ってきた謎が解けたような気がしました。心の中に光り輝 く希望が飛び込んできました。将来に対する不安がなくなりました。 喜びが心の中にわいてきました。
ダマスコでパウロが聖霊に満たされて、目からウロコのようなものが 落ちて、目が見えるようになった時と同じような状況がここにあった ように思います。母が生きている時に、この聖書の言葉を私が知っていたならば、 母に次のように話していたと思います。 「かあちゃん。僕の目が見えなくなったのは、僕が悪いわけでもなく、 かあちゃんが悪いわけでもないんだよ。僕の視覚障害を通して、 僕の人生にも、かあちゃんの人生にも神のすばらしい御業があら わされるためなんだよ。だから、神を信じて、神にすべて委ねて、 生きていこうよ。大丈夫だよ。安心してね。」
母の生存中に、この聖書の言葉を伝えてあげることができたなら、 母をどんなに励まし慰めることができただろうかと思いました。
また、競争社会の中で敗れ、自分に自信を無くしている人が 世の中にはたくさんいらっしゃるように感じます。しかし、神は、 旧約聖書イザヤ書で「私の目にあなたは、高価で尊い。」と 述べられています。神は、無条件で私の存在を認めてくださっ ているのです。私のように目が見えなくとも、神は私のような者を も高価で尊い存在であるとして認めてくださっています。どの人の 人生にも、色々なことが起こります。しかし、新約聖書ローマ人 への手紙において、「神を愛し信じるものには、神がすべてのこと を働かせて益としてくださる。」と約束されています。私の視覚障 害も神は私の益としてくださるのです。
4年前にあるクリスチャンの女性と知り合い、3年前に結婚しま した。毎週日曜日、夫婦そろって教会の礼拝に出席できることは 私にとって大きな大きな喜びであり、神様からの恵みであります。 家庭の中心は常にイエス様であります。それ故、私の家庭は平 和です。最後に旧約聖書箴言17章1節の言葉を持ってお証し を終わります。
一切れの乾いたパンがあって平和であるのは、ごちそうと争いに 満ちた家にまさる。